覚え書き
私はガラスで作品を作りながら、
内側に溜まる光と、空間と溶け合う透明な輪郭について考えているのだと思う。
ガラスが内包する光は、もとはその空間に満ちていた光である。
そこにあるかたちの輪郭に光は切り取られ、空間には光の空白が生まれる。
柔らかな光を湛えたガラスのかたまりは
あるということの確かさと不確かさの間を行ったり来たりしながら、
ただただそこにあるものとして確かに存在している。
透明であることや光を内包するということは、
ガラスという素材がもともと持っている当たり前の魅力である。
それは、表現というよりは現象であると言えるだろう。
私はその当たり前の現象に、ひとつひとつかたちを与えているだけだ。
それらはほとんど丸や四角といった幾何学形態であるから、
何ならそのかたちすら、私の作ったかたちではないのかもしれない。
私は自分の中にあるイメージを現実化させるためにガラスを選んでいるのではなく、
ガラスによって生まれる景色や気配を、自分自身も手を動かしながら少し離れたところで傍観している。
私にとってガラスは他者なのだ。
他者と関係を紡ぐ中で、自分というものの存在に気付くこともある。
見る人には、そこにあるものとの対峙・対話を通して様々に想像を巡らせてもらいたい。
(2013.06)(female times II の展示にむけて書いた文章)